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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる源氏の君と紫の上、右下は明石女御
閉じる右が紫の上、左が女三の宮の模型
閉じる左は明石女御(今上帝の皇后)、右は秋好中宮
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。西洋事情。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。▼ 【計4冊 費暁楼先生 百美図韻 費丹旭】182-02404。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。銅版画 銅鐫新刻釈尊御一代之畫圖 銅版刷 袋付 検索 涅槃図 仏教 仏画 釈迦牟尼仏 曼陀羅 曼荼羅 和本 唐本 古文書。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。はなのわたり 俳諧 宜彦編。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 原始仏教 (1956年) (サーラ叢書 第4 )。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 退読書歴 (1933年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。【中古】 むらさきくさ 日本色彩の文化史的研究 (1956年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 総合防除 (1973年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。鄙事記。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 最新毛織技術と毛織物解説 (1956年)。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。一魁漫画。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。【中古】 経済構造の連関分析 (1963年)。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。●極上和本YM4728●英和書翰(初編) 高実広作 ワクマン校閲 明治5年 往来物・外国語 英学資料。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。『端唄稽古本 はうた稽古本 三編』江戸時代和本 歌謡 俗謡歌詞集。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。【中古】 論理学 (1958年)。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。長谷川伸旧蔵書 大須賀次郎著『磐城史料』(全2冊揃)明治45年 小山裕五郎刊(磐城国石城郡平町)明治時代和本 福島県いわき市郷土史料。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。QW1978】万延元年【家屋図面?八卦図?163年間保管した物】設計図。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。(高遠)内藤家古分限帳 貞享四年写(内藤大和守以前)。
心ゆるひなく、はつかしくて、我も人も、うちたゆみ、朝夕の睦ひをかはさむには、
いと、つゝましき所のありしかは、「うち解けては、見おとさるゝ事や」
なと、あまりつくろひし程に、やかて隔たりし中そかし。昇平鼓腹三府膝栗毛 松村春輔/著 安達吟光/画 明治14年 2編 3編 改装本 2冊。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《源氏の君、過去の華麗な女性遍歴を回想し論評する》
《(源氏の君)「中宮(秋好中宮・冷泉天皇の皇后)の御母の御息所(みやすどころ)こそ、
普通の女(ひと)とはまるでちがって、たしなみも深く優雅なお方の手本として、
真っ先に思い出されるのです。【中古】 植物形態学入門 教師のための植物観察 (1975年)。
そのことを、そのままいつまでも思いつめて深くうらみ通されたのは、
私にとってはまったくつらいことでした。m160◆護国女太平記 上中下巻 3冊揃◆写本◆柳沢騒動 実録 徳川将軍 江戸時代 甲斐守 日本史 歴史@和本/古文書/古書。
まったくとんでもない浮名(うきな)が立って、ご身分を傷つけてしまったことが嘆かわしいと、
深く思いつめていらっしゃったのがおいたわしく、いかにもそのお人柄を考えてみても、
中宮(秋好中宮・冷泉天皇の皇后)の御母の御息所(みやすどころ)については、
わたしの罪のように思われました。(古本)福沢諭吉全集 全21冊組 福沢諭吉 皮装、函、全巻月報付き 岩波書店 SV0017 1958発行。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。【中古】 経済原論 下巻 (1952年)。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 実践福祉社会学 (1966年)。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
《Even when her anger seemed justified it lasted too long,》・・・
・・・・ and her jealousy was more than a man could be asked to endure.
The tensions went on with no relief, and the reservations on both
sides made easy companionship quite impossible.
I stood too much on my dignity, I suppose.
I thought that if I gave in she would gloat and exult.
And so it ended. I could see how the gossip hurt her and how
she condemned herself for conduct which she thought unworthy of her position,
and I could see that difficult though she might be I was at fault myself.
It is because I have so regretted what finally happened that
I have gone to such trouble for her daughter.
I do not claim all the credit, of course.
It is obvious that she was meant all along for important things.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
如果解,深恐被看;分慎小心,果遂成疏隔。【中古】 体系社会心理学 (1957年)。了罪,
我便竭力照的女儿。日本品行論。冬姫は内大臣・通誠の養女。笠井潔伝奇小説集成 全5冊 笠井潔。2つとも貞子の印。増谷文雄著作集 全12冊 増谷文雄。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 私の見た裸のジャイアンツ (1961年)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―46B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 心理科学における個人的記録の利用法 (1970年)。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。【中古】 共産世界とどうつき合うか 新時代の東西関係 (1964年)。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。【中古】 映画と民族 (1942年)。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 日本農村教育 (1943年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。母は後水尾天皇皇女女二宮。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 産業連関分析 (1969年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。阪倉篤秀/著「中国皇帝の条件―後継者はいかに選ばれたか―(新潮。
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 裁判と正義 (1957年)。【中古】 夜学の歴史 日本近代夜間教育史論 (1964年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 歌舞伎図説 (1931年)。書画薈粋 第二編3巻 3冊 畑時倚毛義輯 燕石楼蔵板 検索 誹諧 俳諧 日本画 和本 唐本。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 日本門牆史話 (1948年)。【中古】 たばこ紳士 (1967年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。『初学文章目録 上』寛永11年 西村又左衛門梓行 印記「相良蔵書」江戸時代和本 作文・綴文指南書。【中古】 宇宙への道 (1961年) (ポケット・ライブラリ)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 生物学の革命 (1960年)。【中古】 基礎物理学実験 大学実習 (1966年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 作曲家の世界 (1955年)。御物聚成 全4冊 宮内庁侍従職蔵版。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 ジャーナリスト 新聞に生きる人びと (1956年) (人間の記録双書)。古版 江戸初期 寛永13年 西村又左衛門新刊 浄土文類聚抄1冊 検索 仏教 和本 唐本 経本 古文書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 明治演劇史 (1933年)。【中古】 ラグビー (1954年) (旺文社スポーツ・シリーズ)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 呼び屋 その生態と興亡 (1966年) (フロンティア・ブックス)。1932年 茶道 茶器 検索⇒裏千家 茶之湯 利休居士 本勝手 炭手前 風炉 隅炉 點茶 千宗室 茶器 茶碗 茶入 水指 茶釜 茶筅 茶巾 點前 棚荘方。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 近代土地所有権の成立過程 (1958年)。【中古】 織物の知識 (1955年)。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。【中古】 あなたも忍者になれる (1966年) (クラウンブック)。【中古】 独裁の研究 (1957年)。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。【中古】 ケルンに生きる 第4 遭難の手記 (1961年)。1943年 写真文化 汪精衛 検索:支那 中華民国 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 租借地事変。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。宝暦版 新撰伊勢道中細見記。【中古】 電気技術時代の音楽 (1963年)。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。s※** 明治期 神職宝鑑 上下編 2冊 揃い 半井真澄 明治32年 神道 祭具 古文書 和本 古書 当時物 /N54。●極上和本YM4715●父子訓(A:書袋付き・美本) 中村弘毅 文化8年 教訓 教育。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。【中古】 エイゼンシュタイン 下 1933-1948 (1968年)。【中古】 ことば遊び辞典 (1959年)。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。【中古】 太平洋戦争の諸作戦 第2巻 (1956年)。【中古】 時間と時制 (1956年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。(古本)中国の思想 全12巻+別巻 全13冊組 西野広祥ほか 徳間書店 SV0019 1996発行。【中古】 ストリンドベルクとファン・ゴッホ (1959年)。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 売れる言葉買わせる言葉 (1958年)。【中古】 日本の伝統織物 (1967年)。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》
《ふしそ、》・・・・けに、ことわり」と、おほゆるふしを、やかて、
長く思ひつめて、深くえんせられしこそ、いと、くるしかりしか。【中古】 FMステレオチューナ (1970年)。【中古】 組織の行動科学 ヒューマン・オーガニゼーションの管理と価値 (1968年)。
いと、あるましき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、
いみしく思ひしめ給へりしか、いとほしく、けに、人からを思ひしも、
我、つみある心ちしてやみにし慰めに、中宮を、かく、
さるへき御ちき(契)りとは・・・・《いひなから》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
けれども、私にはどうもお付き合いしにくく、お逢いするのが苦痛なお方でした。
わたしをうらめしく思うのも》・・・・当然、なるほどそれも仕方のないことと思われます。【中古】 フランス語類語解 (1954年)。中院通純 めくり 墨 「和漢朗詠集 禁中御屏風形」 6点セット 134.7×57.5cm 理楽識箱 和書 古書 軸。いつも油断がならず気づまりで、
お互いにくつろいで朝に夕に仲睦(むつ)まじく暮したりするには、
まことに気のおけるところがあったものです。
ですから、こちらが気をゆるしでもしたら見下されはしないだろうかなどと、
あまりにも体裁をつくろっているうちにそのまま疎々しくなってしまった間柄なのです。【中古】 私は魔術師 (1961年) (三一新書)。1920大正九年【祝枝山写杜詩墨跡】和綴じ 中華民国九年八月六版 日本発売元:東京昭和公司 価格40 は。それが、あんなことになってしまった償いとして、
中宮(秋好中宮・冷泉天皇の皇后)を重用し、皇后としてこのように、
もちろんそうなるべき・・・・・《ご運勢とはいえ、とくに帝の皇后になるべくお引き立てをいたしました。》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。古文書●明治31年 軍歌書 13丁 新潟県南魚沼郡南五十沢村 現在の南魚沼市 240602。高木彬光長編推理小説全集 全17冊 高木彬光。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。★H529和本江戸文政8年(1825)和歌道写本「真古今抜書」1冊/新古今和歌集解釈/古書古文書/手書き/古今伝授。渋川敬直(渋川六蔵)『英文鑑』(全4冊揃)限定100部 昭和3年 渋川氏蔵版・六合館(発売) 江戸幕府天文方・書物奉行の外国語参考書 蘭学。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《若菜・下》
以致怨恨越来越深,真乃痛苦之事!和相,得留意,
慎小心。欲彼此无所忌、朝夕相,似乎有不便之。【中古】 新染色学 (1961年)。書画真正落款譜。
流了不的罪名,遭受了薄的,常常悲懊,
原是怪可怜的。我想起了的一生,痛感自己罪无可。【中古】 近代フランス社会主義の潮流 (1960年)。HH-5238 ■送料無料■ 法華要解 全7冊揃え 明治16年 仏教 宗教 経本 教本 妙法蓮華経 出雲寺 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。女儿自有身皇后的宿命,
但竟靠我不世人,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。為永春水作 歌川国貞画『厚化粧万年島田』(20冊=初編〜十編)明治元年蔦屋吉蔵 明治時代和本 合巻 草双紙/絵草紙 彩色木版画 浮世絵 錦絵。円朝全集 全15冊。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。明張介賓類註 類経圖翼11巻 類経附翼4巻 合本10冊 木版画多数 検索 和本 唐本 明版 古代 医学書 医学 古文書。【中古】 行動科学事典 (1966年)。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。【中古】 雨雀自伝 (1953年)。【中古】 財政学 (1954年)。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【中古】 関税の知識 (1963年) (日経文庫)。【中古】 日本政党史 上 下巻 (1927年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。中原淳一ひまわり附録。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。【中古】 工芸と社会 (1947年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。昇平夜話。聖道得門。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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